こんにちは。
先週は、大谷知子さんが書かれた『百靴事典(ひゃっかじてん)』(大谷知子編著、全日本革靴工業協同組合連合会発行、2022年)を紹介しました。当時「靴の首都」と呼ばれたリンLynnについて初めて知ることが出来ました。
日本での本格靴のブームは1990年代に起きますが、かなりいろいろなことが忘れ去られているんですよね。ネットでは、リンについていろいろ情報を集めることが出来ましたので、今回紹介します(今回の記事は、ほとんどページ下部のHPからの引用です。)
以前「●オールデンとオールド・コロニーの歴史」で、19世紀には、世界の靴生産の中心はマサチューセッツ州のボストンであったことを紹介しました。(ただ、これは1920年発行のアメリカの書籍によるもので、実際にそうであったかは検証が必要だと思います)。オールデンは、1884年の創業なのですが、最初ボーイズシューズを中心に生産し、その後1920年代には本格シューズを生産しています。会社の位置は、ボストン近郊をアビントン→ブロックトン→ミドルバラ(ミドルボロー・現在)というふうに移動していますね。

■1900 年頃、ワシントン ストリートからアミティ ストリートを見上げる、リンのダウンタウンにある移民地区。リン公立図書館提供。
今回、リンをキーワードに様々なHPを検索しますと、大まかにその歴史を知ることが出来ました。ざっくりとですが、紹介していきます。
●アメリカ入植後のリン
1620年にメイフラワー号がマサチューセッツ州プリマスに到着して間もなく、やってきたイギリス人入植者がリンに入植しました。その後、イギリスからの入植者が増えてきますと、
1635年に始まった製革と靴製造によりの初期の中心地となりました。1776年のアメリカ独立戦争中に大陸軍の兵士が着用したブーツはリンで製造され、靴製造産業は19世紀初頭まで都市の成長を牽引しました(アメリカ版ウィキペディア)。
メイフラワー号には、アメリカ建国の引き金となった最初の移民達が乗っていました。これが、のちに靴産業と結びつけられるのが興味深いです。
リンには 10フィート(約3m)x10フィートの掘っ立て小屋が点在し、靴職人が技術を練習していました(「GBHニュース Lynn が世界の靴の首都になった経緯」(2014年5月30日))。この時代まだまだ、小規模な生産であったことがわかります。
●最初の靴店
2017年とかなり前に紹介した本ですが、『コロンブス以後のアメリカ産業の歴史-靴と皮革産業の発展』(ジョージ・A・リッチ、2016年2月)では、コロンブス以後から19世紀後半までのアメリカ靴産業の歴史を描いています。すっかり忘れていたのですが、この本にリンの話が出てきます。
1492年以後の、ニューイングランド地方から上陸してきた、イギリスによる入植開始からなめしの技術は伝わっていたとのこと。生活に必要な技術なので当然ですよね。マサチューセッツ州など東海岸から靴産業が起きているのはこのことによるのでしょう。
イギリスから本格的な靴製作の技術を学んできたのは、ダグリル(Dagyr)で、1764年には、LYNN SHOE-SHOPで、女性用の靴が販売されていました。(ただし輸入された材料で作られていた。)ダグリルが亡くなったあと、ショップが増え、漁師、農夫、旅人、などなどが利用しました。これにより、イギリスでは、アメリカに靴やブーツを輸出できなくなった。それどころか、リバプールに輸入されるようになっていました。
おそらく、イギリスよりも安い値段で製造できたためでしょう。(このブログの最初期の記事と結びついたのが嬉しいですね。大きな円を描くように記事を書いていて、狙い通りといえばそうですが、偶然です……。)
●19世紀の機械化の流れ
産業革命が19世紀初頭のアメリカを席巻するにつれて、リンの靴作りは小さな店から工場のフロアに移りました。新しいテクノロジーのおかげで、生産量は1日5足から50足に増えました。「革の裁断、革の成形、アイホールのカット、魂の生成、ヒールの生成、すべてが機械化されました」。ただ、この時点で機械化されていなかった作業があります。木型に革をあてる吊り込みは、複雑で微妙な技術が必要とされ機械ではなく手作業でおこなわれていたのです(同、「GBHニュース」)。
●マツェリガーによる吊り込み機の発明
マツェリガーはアフリカで、オランダ人技術者の父とスリナム人の奴隷の母の間に生まれました。1870 年代にリンに到着したとき、彼は英語をあまり知りませんでしたが、靴の作り方は知っていました。彼は数え切れないほどの時間、吊り込みの作業を観察してきて、彼らの動きを機械化できるという考えを持っていました。マツェリガーはメカニックに対して超自然的な!才能を持っていたとされ、正式なトレーニングを受けていなかったと述べています。

■biography.com経由のヤン・エルンスト・マッツェリガー画像
骨の折れる5年間の後、彼の執着は報われました。1883年、マツェリガーはついに彼の吊り込み機械の特許を取得しました。
1885年5月29日、彼の発明が発表され、初めて実演されました。それは機能しただけでなく、すべてを変えました。工場の生産量は1日50足から750足に跳ね上がりました。そしてLynn 製の靴のコストが半分になりました(同、「GBHニュース」)。
数年のうちに、リンは誰もが認める世界の靴の都になりました。234 の工場が毎日 100 万足以上の靴を生産しています。
しかし、マツェリガーは自分の成功の恩恵を十分に享受することはできませんでした。10 年代の終わりまでに、彼は結核で亡くなりました。これは、当時の靴工場労働者にとってあまりにも一般的な最期でした。彼はちょうど36歳でした(同、「GBHニュース」)。まだまだ人種差別があった19世紀で、リンの発展をアフリカ系の若者がつくったというのは何とも複雑な気持ちがします。これも、多民族国家アメリカの底力なのでしょうか。

■移民は、1890 年にマーケットストリートのふもと近くのなめし工場で働いていたこれらの男性のように、皮革労働者の間で特に一般的でした. Lynn Public Library の提供.
●1860年のストライキ
順調であったリンの靴製造にひとつの契機が訪れています。1860年2月22日にリンの靴工場でストライキが始まりました。リンの靴職人が通りを行進して職場に向かい、賃金の引き下げに抗議して道具を手渡したときでした。1860 年のニュー・イングランド・シューメーカーズ・ストライキとして知られるこのストライキは、米国で最も初期のものの 1 つでした(アメリカ版ウィキペディア)。
当初は 3000 人の労働者が抗議して靴工場から立ち退きましたが、25を超える町の20000 人の労働者が低賃金で過酷な労働に反対する運動に発展しました。アメリカで最大のストライキ(それまで)が始まった(リンミュージアム「リン・シューメーカーズ・ストライク」同HP 2021年4月16日)。
初期の靴作りは、靴職人とその見習いによって完成された職人技でした。前出の通り、彼らは10フッターと呼ばれる小さな建物にこもり、1日3~5足の靴を手作りし、16時間働きました。当時、靴屋病と呼ばれることが多かった結核は、多くの靴職人を殺しました(同
HP 2021年4月16日)。
ストライキの人々はジョージ・ワシントンの誕生日を選んで、イギリスからの独立を求める植民地の戦いを真似たました。労働者は街頭に出て「ヤンキー・ドゥードゥル」(?)を歌い、ストライキを開始しました。当時は 3,000 人の労働者が行進しましたが、すぐにその数は急増しました(同HP 2021年4月16日)。
当時アメリカ合衆国大統領選挙に出馬していたエイブラハム・リンカーンは、靴屋のストライキへの支持を表明しました(「ニューイングランド・ヒストリカル・ソサイエティ 1860年のニューイングランドの靴屋大ストライキ」2022年)。

■digitalcommons.salemstate.edu による靴工場の画像
残念ながら、ニューイングランドの靴職人ストライキは失敗に終わりました。ほとんどの工場長は、6週間にわたる抗議活動の間、ストライキ参加者との交渉を拒否しました。最終的に、男性の賃金の10%の賃上げに同意した雇用主は30社のみでした。しかし、ストライキは、将来の労働努力を助けるいくつかの構造変化につながりました。この種のストライキは労働組合を後押しし、その後何年にもわたって労働法が変更されました。また、有権者は次の選挙でリンの政府の大部分を置き換え、新しい意思決定者を就任させました。しかし、間もなく南北戦争が勃発し、国家の焦点は戦時中の生産に移った(同
HP 2021年4月16日)。
20世紀初頭、リンは靴製造の世界的リーダーでした。234の工場が毎日 100 万足以上の靴を生産しました。これは、マツェリガーによるプロセスの機械化のおかげでもあります。1924年から1974 年まで、リン独立工業靴製造学校が市内で運営されていました。しかし、生産は20世紀を通じて減少し、最後の靴工場は1981年に閉鎖された(アメリカ版ウィキペディア)。
今回、以下のHP記事をもとに、いわゆる「こたつ記事」を書いてしまいました……(反省)。記事の日付を見るとわかるのですが、けっこう最近になって書かれているんですよね。もしかしたら、最近になってアメリカ本国で、伝統産業が見直される動きがあって、リンLynnで声をあげた、マツェリガーやストライキを行った人々が注目されてきているのかもしれません。日本でも、19世紀靴の首都リンがもっと注目されてくると良いなあと思います。
【参考文献】
・「GBHニュース Lynn が世界の靴の首都になった経緯」(2014年5月30日)https://www-wgbh-org.translate.goog/news/post/how-lynn-became-shoe-capitol-world?_
・リンミュージアム「リン・シューメーカーズ・ストライク」同HP 2021年4月16日https://lynnmuseum-org.translate.goog/2021/04/16/lynn-shoemakers-strike
・「ニューイングランド・ヒストリカル・ソサイエティ 1860 年のニューイングランドの靴屋大ストライキ」2022年
・https://globalboston-bc-edu.translate.goog/index.php/home/immigrant-places/lynn
・「マサチューセッツ州リン:世界の靴の中心地」https://theshoeman647325124-wordpress-com.translate.goog/2021/03/09/lynn-massachusetts-the-shoe-capital-of-the-world/
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